竹とピンクジンジャーを探しにマネンゴン川

ハッファデイ!毎朝レインボー嵐なグアムよりCocoです。

明日、夫の叔父の友人でもあり、私がグアムでお世話になる方の80歳のお誕生日!ということで、パーティー用のデコレーション素材となる竹を切ってきました。また装飾用のお花に、ピンクジンジャーを島内探し回っていたのですが、どこも私有地内やそうと思われる場所ばかり。

一箇所、ジャングル内にあったのですが、夫が何か気配を感じるそうなのでやめました。こういう時は、ロコの勘を信じるようにしています。その場所は、川の近くで、さらに竹が多かったことをヒントに、「川の近くに生息しているかも!」とまた車を走らせました。

一番に思い浮かんだのが、竹が多く生い茂る「マネンゴンリバー」。チャモロの人たちは「マネングンリバー」と言っているように聞こえますが、日本語では「マネンゴン」と呼ばれているようなので、ここでは「マネンゴン」に統一します。

川沿いを辿りますが、ジャングルと竹ばかりでピンクジンジャーには一向に出会えず。水深がある時には、ローカルがターザンのようにダイブするスポットまで来て、引き返すことに。車をUターンさせようとしたところ、その先にモニュメントがあるのを発見し、少し見てみたい!と夫に伝え近くに寄ると、なんとピンクジンジャーを発見!!!

これは巡り合わせかしら!!とワクワクしながらも、その近くにあるモニュメントの横にある看板を発見。なんとなく想像はしていたけど、このモニュメントがある場所は、第二次世界大戦時のチャモロ人収容所跡「マネンゴンチャモロ人収容所跡」でした。日本人でもアメリカ人でもないチャモロ人が、自分たちの島で戦争に巻き込まれ、散々な想いや苦痛を味わいながら、日本軍に従い、行列を作りながら着の身着のまま、常夏のグアムの山を登り下りしながら向かった場所だと察します。

この看板に書かれている内容は、英語と日本語でそれぞれ書かれている内容が異なります。日本語では、詳しく「1944年7月の米軍上陸に備えて、日本守備軍が地元民のスパイ行為、あるいは反乱を予測して、集中管理の目的で島民の大移動させた収容所の一つ」といった文章から始まり、強制移動の最中、米空軍がハガニャを無差別大爆撃して市街を壊滅させたが、およそ1万人近くの市民は被害をまぬがれたこと。島民は着の身着のまま列をなして行進を続け、道中飢えと疲労から倒れるものは放置され、収容所内で死去した者もいたこと。およそ1万人近くが2〜3週間にわたって収容されたが、食料はなく川水があるだけだったこと、など具体的に書かれていました。

英語では「日本軍が選んだ、食料無し・水無し・医療サポート無しの地元民収容所」と始まり、過去に起きたことを風化させないこと、そしてチャモロの人々の魂を忘れないこと、さらに祈りの言葉が続いていました。

以前、チャモロ人の叔父からこの収容について聞いた話があります。「戦争時は日本人だってアメリカ人だって、戦争を使命として来ていて、正気でいられるような状態じゃなかった。僕がおじいちゃんから聞いたのは、チャモロ人をアメリカ軍が上陸する前に、日本人が島民を避難させたと聞いている。その頃の幼い子供の目に焼きついていたのは ”おばあちゃんが引きずられる痛ましい姿” もあったようだけど、大移動のその長い道のりの中で、歩き続けることができないお年寄りをそこに放置したら攻撃されて死んでしまうかもしれないでしょ?それなら、引きずってでも避難させると僕は思うんだ。」と。

叔父のおじいちゃんは、戦時中、日本軍の元で日本語をチャモロ語に通訳する仕事をしていたそうです。これは、Cocoが日本人だからこんな風に伝えてくれたのかもしれないし、本当にそうだったのかもしれない。捉え方によって感じ方って全然違いますよね。今も昔も、いい人もいれば悪い人もいる。それぞれ受けた想いは異なると思いますが、巻き添えを食らってしまったチャモロの方々がいたことは紛れもない事実。モニュメントに向かい手を合わせてきました。

近くで見つけたピンクジンジャーは、恐らく収容所に捧げるために植えられたものだと察し、頂くことは諦めました。ピンクジンジャー探しの旅は明日の当日まで続きます。

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